初コレペティ稽古
2006年 04月 14日
森島先生のコレペティは学校で数回受けたことがあった。
とてもフレンドリーに解りやすく、聴講していても楽しかった。
そのレッスンが月に2回も受けられるなんて ホントに素敵☆
今回は9月のヴェルディ協会コンサートのためのレッスン。
私の受け持つのは《RIGOLETTO》のGildaのアリアと4重唱。
このアリアはずっと歌い続けていて、自分の中で安心して歌える曲の一つ。
もちろん声楽アンサンブルに入れていただいたオーディションでも
二次で歌い、あの大ホールで聴いていただいた。
先日入試の手伝い中にお目にかかってお話させていただいたのだけれど、
「あぁ、あれはあなただったの。。」という感じでした。
もちろん先生は数回コレペティで見た生徒のことなんて
覚えていらっしゃらなかったのでしょうね(^ー^)。
そんなわけで緊張というよりは楽しみにしていた。
部屋に入ると、挨拶もそこそこに突然オーディションの時のご高評をくださった。
フワフワと宙を舞ってるかのような心地のままレッスンは始まった。
しかし、喜ぶのはまだまだ早かった。。。
「改善点」のなんとも、なんとも大きいこと。
というのも、いうなれば私のアリアは「歌曲」の歌い方だとおっしゃるのです。
つまり、解りやすくいえば感情過多なんですって。
「オペラアリア」というのは、「声」と「旋律」が命。
乱暴な言い方をすれば、このクラスの作曲家の場合、
楽譜どおりに再現すれば、そういう気持ちに聴こえるんですって。
それを私は自分の感情をこめるあまり、
息や音楽の流れを止めてしまったり、
楽譜自体を見直してもかなり違うことやってた。
私らしく、個性を出そうと思って歌わなくても、
私の声と言うだけで、充分個性は出ているのだから。
妙に感情移入しすぎないように。。。
思い当たる節、ありまくりです。
先生はおっしゃった。
「その『歌曲の歌い方』は充分素晴らしいから、
その他に『オペラアリアの歌い方』も身につけて、
歌い分けができる一流の歌手になりなさいね。」
よく考えてみれば、昔は楽譜どおり歌っていたのだ。
(ただ息は止まっていたけどネ ーー;。)
M先生の言葉や動作が甦ってきた。
あとはフェルマータの説明をするのに、
鐘の音に対する和洋の考え方の違いの説明をしてくださったり。
目から鱗がポロポロ落ちました。
でもね、先生は極論をおっしゃったけど、
心が全くなくていいわけじゃないと思うのです。
ただ声には出すな、ということでしょ?
自分でもやらしいなと思うこと、あるモンね。
あの日はやる気と課題の大きさにいろいろ考えていたら
ちょうど良くA先生から励ましのメールが届いた。
辛いとか、淋しいとか、そんなことは全くないのに
小さなホームシックのような状態になって・・・。
ここんとこ、「メール欲しいな」と思うとちゃんと届くことが頻繁です。
わたしってば、いつから「サトラレ」になったのかしらん??
とてもフレンドリーに解りやすく、聴講していても楽しかった。
そのレッスンが月に2回も受けられるなんて ホントに素敵☆
今回は9月のヴェルディ協会コンサートのためのレッスン。
私の受け持つのは《RIGOLETTO》のGildaのアリアと4重唱。
このアリアはずっと歌い続けていて、自分の中で安心して歌える曲の一つ。
もちろん声楽アンサンブルに入れていただいたオーディションでも
二次で歌い、あの大ホールで聴いていただいた。
先日入試の手伝い中にお目にかかってお話させていただいたのだけれど、
「あぁ、あれはあなただったの。。」という感じでした。
もちろん先生は数回コレペティで見た生徒のことなんて
覚えていらっしゃらなかったのでしょうね(^ー^)。
そんなわけで緊張というよりは楽しみにしていた。
部屋に入ると、挨拶もそこそこに突然オーディションの時のご高評をくださった。
フワフワと宙を舞ってるかのような心地のままレッスンは始まった。
しかし、喜ぶのはまだまだ早かった。。。
「改善点」のなんとも、なんとも大きいこと。
というのも、いうなれば私のアリアは「歌曲」の歌い方だとおっしゃるのです。
つまり、解りやすくいえば感情過多なんですって。
「オペラアリア」というのは、「声」と「旋律」が命。
乱暴な言い方をすれば、このクラスの作曲家の場合、
楽譜どおりに再現すれば、そういう気持ちに聴こえるんですって。
それを私は自分の感情をこめるあまり、
息や音楽の流れを止めてしまったり、
楽譜自体を見直してもかなり違うことやってた。
私らしく、個性を出そうと思って歌わなくても、
私の声と言うだけで、充分個性は出ているのだから。
妙に感情移入しすぎないように。。。
思い当たる節、ありまくりです。
先生はおっしゃった。
「その『歌曲の歌い方』は充分素晴らしいから、
その他に『オペラアリアの歌い方』も身につけて、
歌い分けができる一流の歌手になりなさいね。」
よく考えてみれば、昔は楽譜どおり歌っていたのだ。
(ただ息は止まっていたけどネ ーー;。)
M先生の言葉や動作が甦ってきた。
あとはフェルマータの説明をするのに、
鐘の音に対する和洋の考え方の違いの説明をしてくださったり。
目から鱗がポロポロ落ちました。
でもね、先生は極論をおっしゃったけど、
心が全くなくていいわけじゃないと思うのです。
ただ声には出すな、ということでしょ?
自分でもやらしいなと思うこと、あるモンね。
あの日はやる気と課題の大きさにいろいろ考えていたら
ちょうど良くA先生から励ましのメールが届いた。
辛いとか、淋しいとか、そんなことは全くないのに
小さなホームシックのような状態になって・・・。
ここんとこ、「メール欲しいな」と思うとちゃんと届くことが頻繁です。
わたしってば、いつから「サトラレ」になったのかしらん??
by musicakurihara | 2006-04-14 23:57