川中順子先生へ
2006年 03月 09日
昨日、パリの灰色の空の下、
日本歌曲の伴奏で数年前からお世話になっていた
川中順子先生の訃報を聞きました。
音楽作りといい、音楽・本番に向かう姿勢といい、
尊敬に値する活動を続けていらっしゃいました。
クリハラは学部を卒業した頃から度々弾いていただいていて、
新作歌曲の音楽作りを手伝っていただいておりました。
やっとこさ、一人前になろうというところになって
また一人、大切な恩師を失ってしまいました。
昨年の9月22日の新作歌曲「木」の演奏会が、
先生にとっても最後の演奏会になりました。
その練習のとき、この先の人生に悩んでいた私は
先生にも話を聞いていただいていました。
日頃絶対に人に弱みを見せない気丈な方だったのに、
その日は「精神面が弱いんですよね、ワタシ」という私に、
「未和ちゃんはしっかりしてるよ。私なんか全然駄目で・・・」と
珍しく、弱気な発言をされていたんです。
当然病気のことがあって苦しんでいただろうに、
私は「私がだいぶ成長してきたから、仲間と認めてくださったのね(^ー^)」
と、のんきに思っていました。
その本番のとき、珍しくペターっと寄り添って写真を撮ったり、
普段の先生からは想像のつかないことがいっぱいありました。
終演後、何かを言いかけていらしたのに、そのまま帰られてしまい、
その後FAXで仕事キャンセルのお知らせが届いたきり、
音信不通となってしまっていました。
親子でいっぱいお世話になっていたのに
肝心な時にお役に何も立てなかったことが口惜しくてたまりません。
まだ40代半ば、まだまだこれからなのに・・・。
クリハラが出来ることはただ一つ、
これからも歌を歌い続けていくことだと思います。
だって、先生は応援してくださっていたから。。。
今までずっと走ってこられた先生は、
今頃どこかでゆっくり休みながら、
ピアノを楽しく弾かれていることでしょう。
どうぞ安らかにお眠りください。
日本歌曲の伴奏で数年前からお世話になっていた
川中順子先生の訃報を聞きました。
音楽作りといい、音楽・本番に向かう姿勢といい、
尊敬に値する活動を続けていらっしゃいました。
クリハラは学部を卒業した頃から度々弾いていただいていて、
新作歌曲の音楽作りを手伝っていただいておりました。
やっとこさ、一人前になろうというところになって
また一人、大切な恩師を失ってしまいました。
昨年の9月22日の新作歌曲「木」の演奏会が、
先生にとっても最後の演奏会になりました。
その練習のとき、この先の人生に悩んでいた私は
先生にも話を聞いていただいていました。
日頃絶対に人に弱みを見せない気丈な方だったのに、
その日は「精神面が弱いんですよね、ワタシ」という私に、
「未和ちゃんはしっかりしてるよ。私なんか全然駄目で・・・」と
珍しく、弱気な発言をされていたんです。
当然病気のことがあって苦しんでいただろうに、
私は「私がだいぶ成長してきたから、仲間と認めてくださったのね(^ー^)」
と、のんきに思っていました。
その本番のとき、珍しくペターっと寄り添って写真を撮ったり、
普段の先生からは想像のつかないことがいっぱいありました。
終演後、何かを言いかけていらしたのに、そのまま帰られてしまい、
その後FAXで仕事キャンセルのお知らせが届いたきり、
音信不通となってしまっていました。
親子でいっぱいお世話になっていたのに
肝心な時にお役に何も立てなかったことが口惜しくてたまりません。
まだ40代半ば、まだまだこれからなのに・・・。
クリハラが出来ることはただ一つ、
これからも歌を歌い続けていくことだと思います。
だって、先生は応援してくださっていたから。。。
今までずっと走ってこられた先生は、
今頃どこかでゆっくり休みながら、
ピアノを楽しく弾かれていることでしょう。
どうぞ安らかにお眠りください。
by musicakurihara | 2006-03-09 08:53